スター・ウォーズ回顧録④

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エピソード8

「最後のジェダイ」は斬新なスター・ウォーズだった。
斬新な感動を得られたのかというと、残念ながらそうではない。

https://muramatch.at.webry.info/202002/article_1.html?1591259455

新たなスター・ウォーズを志向していることは伝わってくるし、その志には大いに共感した。

具現化されたイマジネーション、ディテール、コンセプト、物語には感動は少なく、観客の抱くスター・ウォーズに対する固定観念と過去を葬ることに終始していると感じた。

ある意味それはそれで斬新ではあるが基本設定と呼ぶべきものまで否定、改変しなければ志を貫けなかったのだろうか。

いわゆる観客の期待を裏切る展開を繰り返すことで、スター・ウォーズに新たな方向性を与えようとしている。

期待を裏切るためには、観客が期待することを仮定しなければならない。
つまり結果としてそれまでのスター・ウォーズに強く縛られてしまう。
逆張りという手法がかえって新章の飛躍の足枷になってしまった。
斬新な展開の創作との間でジレンマを生まなかったのだろうか。
物語が前作「フォースの覚醒」のエンディングの直後から始まるというのも呪縛の象徴である。

もともと飛躍などは志には含まれておらず、単に破壊的創造を意図していたのかもしれない。
その様に受け止めれば、エピソード9への期待を増幅する意義のあるイノベーションだ。

このチャレンジに対するファンの反応はある意味然るべきものとなった。
賛否真っ二つの評価、評論は製作側もある程度は想定の範囲内だったのではないか。

想定内と思われる世間の反応と、エピソード9におけるコリン・トレボロウの監督降板後の創作活動への影響との因果関係に興味があるが、それ以前にまず後任を誰が担うかといった大きな課題が生まれていた。

最近になってトレボロウの創作していたボツになったストーリーボードが明らか(漏洩?その後、フェイクではないことを認める発言を本人がしている)になっている。
確かにこれを採用しなかった判断はまあうなづける。

後任候補の名前にはライアン・ジョンソンの名前も上がっていたようだ。最後のジェダイ公開の3ヶ月ほど前の出来事である。

ジョンソンは2017年9月11日に都内で開催された『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』スペシャル・ファンミーティングに登壇し、インタビューで以下の様に答えている。
(エピソード9の監督を務めることは)「考えられない」
と見解を述べ
「どなたが監督になろうとも、その方がスター・ウォーズにどんな新しい色をつけ、どんな結末をもたらしてくれるのか、ファンに戻って観られることを楽しみにしているよ」と結んだ。

舞台裏の事は知る由もないが発言は本心だったろう。「最後のジェダイ」を鑑賞して改めて確信した。
エピソード9こそが真に新たなスター・ウォーズとなるのであり、ファンとして思い切り楽しみたい。
ファン心理として共感できる。
ジョンソンはエピソード8をもってして、そのためのお膳立てをしたわけだ。

エピソード9

スター・ウォーズのエピソード9に与えられた使命は、他のどんな映画であっても得難い大きなチャンスだ。
その後の映画ビジネス、映画製作にまで変革をもたらし社会現象を引き起こした第1作目「スター・ウォーズ」
それに匹敵するかそれをも包含し拡大するエポックメイキングな映画が誕生するかもしれない。
それだけに期待は大いに膨らむ。

果たしてJ ・J ・エイブラムスで大丈夫だろうか…

2019年12月 それは杞憂では無くなってしまった。

https://muramatch.at.webry.info/202003/article_1.html?1591259530

エピソード8が提示した新たな設定を幾つか無かったことにし、観客への逆張りで描かれた衝撃の事実に対するアンサーパートは、数行のセリフのみであっさり回収された。
破壊を閑却と否定で修正、回収する、これではライアン・ジョンソンの偉業がまったく浮かばれない。
みすみす「斬新な名作誕生」のチャンスを自ら放棄してしまった。
最後のジェダイに対する一部のオールドファンの否定的な反応が、創作に少なからず影響しているように思える
ファンに敬意を払い大切にするというのはこういうことだったわけだ。

エピソード9での新たなファン層の獲得より、それまでに獲得したファンを失わない方が重要だ。
「世代を超えて愛されるスター・ウォーズ」、つまり「購買意欲を持つ層の拡大と購買能力の高い層の継続的な維持」これはマーケティング上の最重要項目だったのだろう。
オールドファンはそれなりに収入のある世代が中心だし、その子供、その孫の世代のファンはキャラクター商品の重要顧客だ。
映画本編の興行収入に加え、ライセンスビジネスでの利益を最大化するためには、最終章での斬新な感動の創出はリスクでしかない。

ここまで感想と考察を綴ってみたが、自身にとってシークエル・トリロジーとは何だったのか総括するのは難しい。

ジョージ・ルーカスが近年になって彼自身のエピソード7〜9に関する構想を明かしている。
2018年のジェームズ・キャメロンとの対談での事だったらしいので、「スカイウォーカーの夜明け」の公開前だ。

なんと「ミディ・クロリアン」と「Whills」の話だったと言うのだ。

ルーカスは対談でこう語った。
「もし会社を売らなければ、この映画が作れたし、作っただろう。多くのファンは毛嫌いするだろうが、少なくとも初めから最後まで、この物語全体は語られることになっただろう」

確かにオリジナル・トリロジー信者には到底受け入れられそうにも無いが、別にそれでも構わないではないか。
シークエル・トリロジーよりよほど斬新で感動的なスター・ウォーズになったかもしれない。
私自身は斯様に感じるれっきとしたオリジナル世代である(信者ではない)。

ミクロの世界を描くからといってスター・ウォーズ版「ミクロの決死圏」でも無いだろうから、根底の設定として「利己的な遺伝子」のようなコンセプトを導入するということだったのかもしれない。

フォースは色即是空の概念の象徴であり、スター・ウォーズのクライマックスではそれを映像化するのかもしれないと考えていた。

https://muramatch.at.webry.info/201601/article_1.html?1591259583

「Whills」は宇宙を構成するエネルギーのようなもので、すべてのものは恒常的な実態はなく縁起によって存在する。

そうではなかったのだろうか?

宇宙は生物に宿る「Whills」というミクロの存在にコントロールされているらしい。
ルーカスは宇宙は閉鎖系ではなく解放系であると考えていたのかもしれない。
スター・ウォーズ・ ユニバースの創造主はルーカスなのだから。

しかしエピソード V でマスター・ヨーダ がルーク・スカイウォーカーに語って聞かせたフォースの概念とは、一見齟齬があるように思える。

「生命がそれを生み出し育てるのじゃ。そのエネルギーはわしらを取り囲み、結び付けておる。輝ける存在じゃ、わしらは。粗雑な肉の塊ではない。周囲のフォースを感じるのじゃ。ここにも、お前とわしの間にも、あの木にも、岩にも。どこにもある。そう、陸地とあの戦闘機の間にもじゃ」
〜ヨーダ 先生、無生物にもWhillsが?〜

「まだまだ修行が足りんようじゃな」

ヨーダ の教えは神道の依代を連想させ、ルーカスのWhillsは生物の遺伝子を思い起こさせる。

「抽象的自我が宇宙を具現化している。」
スター・ウォーズ・ユニバースでルーカスが描き切りたかったのはこのようなコンセプトによる物語だったののではないか。

哲学、宗教、生物学、量子論

フォース、ミディ・クロリアン、Whills、そして宇宙
ルーカスの新章が実現していれば、これらの概念が統合されたプロットに結実したのかもしれない。
公開されたシークエル・トリロジーとこれらは甚だ無縁であった気がする。

まだルーカスによる新シリーズの実現の可能性がゼロでは無いことを願いたい。

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スター・ウォーズ回顧録③

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シークエル・トリロジー3本の個々の備忘録は過去ログに記した。

シークエルとはなんだったのだろうか。
本稿では自身にとっての備忘ではなく、考察を展開してみたい。
映画本編以外の周辺情報に対する調査は甚だ不十分であるにも関わらず、稚拙な論を披露することになるのはご容赦願いたい。

各作品の表記は題名には冠されていないナンバリングも使用していく。

エピソード7
10年ぶりのスター・ウォーズ劇場版新作映画としての新たな序章

エピソード8
新世代のスター・ウォーズとしての斬新な感動を志向

エピソード9
スカイウォーカー・サーガ全9作の完結となる大団円

それぞれのエピソードが担ったプロットはこんなところだろうか。
この前提で論を進める。

エピソード7

シークエル全体をスカイウォーカー家の物語と決めた時点で、時代をエピソード I より遡るという選択肢はなかっただろう。
エピソード VI の正当な続編として位置付け、銀河帝国崩壊の後日譚を描いた。
エピソード VI の公開年は1983年であるから実時間としては32年後の続編公開である。
物語の時間経過もこれとリンクすることでオリジナルの俳優陣が同役をそのまま演じるキャスティングが実現した。
続編としての説得力が著しく高くなるのと同時に懐古趣味満載の本編公開が約束された。

スター・ウォーズらしい新作をどの様にして作り上げるか。
スタッフが背負った大切な命題の一つだっただろう。
ジョージ・ルーカスのクリエイティビティとの決別の理由がなんであれ、命題の重さを増しているのは間違いない。

ジョージ・ルーカスが深く関与し監修しているのか否かは、製作側にもファンにも正当な本家スター・ウォーズの必須要件のようになっていた。
ところが2012年にルーカスフィルムがディズニーに売却されて以降この不文律は破棄された。

製作陣の間でスター・ウォーズらしいとはどういうことなのか、どの程度検討されたのだろうか。
「フォースの覚醒」に込められた答えはオリジナル3部作への表面的な回帰だった。

スカイウォーカー一族の物語を描くにしても何世代も先の数百年の未来へと舞台を飛ばし、全てを斬新なもので構築する事も可能だったはずだ。
ところがそうはしなかった。
ここにはアンチプリクエル騒動のトラウマが垣間見える。
正真正銘のジョージ・ルーカスのスター・ウォーズであってさえも、容赦なく叩かれ大論争にまで発展した。
ましてやルーカス印が無い上に、誰も見たこともないような斬新なスター・ウォーズを世に送り出せばどんな事になるのか。製作陣が選択しなかったのは無理もないこととも思える。

コンセプトの決定が先か、J・J・エイブラムスの起用が先かは知り得ない。
いずれにせよオリジナル・トリロジーの熱狂的ファンがメガホンをとり、懐古趣味満載の新作を撮ることになったわけだ。

J ・J によるスター・トレックのリブートはうまくいっていたし作品も素晴らしいものだった。
スター・ウォーズは必ずしもそうはならなかった様に思う。

ハリソン・フォード演じるハン・ソロに再会できたのは喜びだし、新世代の主人公達も魅力的だ。
斬新さに欠ける懐古は残念だが、新章のつかみとしては許容範囲に思えた。
一作入魂の第1作目とは異なり3部作を前提とした序章であり、しかもビッグネームの続編という位置づけからも納得性はある。
完全には満足は出来なかった分は、エピソード8に斬新な展開を期待する源となった。

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④に続く(きっと)

スター・ウォーズ回顧録②

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スター・ウォーズ公開当時の映画ファン友達の間でスピルバーグ派かルーカス派かといった小さな論争があった。多数は断然スピルバーグ派を主張していた。

多数派の評はスピルバーグ作品は知的で深いがルーカスは浅いというものだった。自分は全くそうは思っていなかった。職人と作家のようなそんな対比で捉えていた。

派閥はさておきスター・ウォーズの与えたインパクトは浅い深いとかの論を超越している才能であると理解させるに十分以上だった。
斬新な感動を呼び起こすためにイマジネーションを最大限に注ぎ込み、具現化のための設定はディテールに徹底的にこだわり抜いて構築する。
映画ファンとしては当たり前に期待する特別な事でもない様に思えるが、実際に高次元で結実するには越えるべきハードルがいくつもあるだろう。
ルーカスはスター・ウォーズ制作過程でそんなハードルをいくつも越え、さらに幸運と偶然に恵まれ奇跡を起こした…というのは言い過ぎだろうか。

2020年現在で作品を見返しただけではその奇跡を理解するのは難しいかもしれない。
当時の世相、鑑賞側のそれまでの映画体験、1977年以降に展開される様々なスター・ウォーズ現象
全ての要素で構成される奇跡である証左にも思える。

一方で1999年に公開された「エピソード1 ファントム・メナス」を入り口とするいわゆるプリクエル・トリロジー世代ともいえるファン層も存在する。
リアルタイムでロードショー鑑賞していれば現在はアラフォーだろうか。
この世代はオリジナル・トリロジーはビデオ鑑賞で体験し熱中しただろう。
この世代はこの世代なりに奇跡の生き証人となっていると思う。

ファントム・メナスをはじめプリクエルにも斬新なイマジネーションとこだわりのディテールが詰まっていた。
オリジナル・トリロジーと色々な部分で違いを見せていたが、自身にとっては紛れもなくスター・ウォーズだった。

オリジナル世代は今はアラ還だろうか。
自身は2020年現在55歳である。
我々世代にとってのファントム・メナスは実に16年ぶりのスター・ウォーズ劇場体験である。しかし例のオープニングは見慣れた恒例のものでもはや斬新な感動はない。
しかし、スクリーンに映し出された Long time ago… からのジャーン→題字のくだりは鳥肌が立つほどの感激だった。
(20世紀FOXのロゴとファンファーレもセットにすべきだろう)
恒例となった懐かしのオープニングから続く本編は斬新な感動の連続だった。

続編映画は宿命的に斬新さに欠けるのが常であった。
しかしスター・ウォーズの4作目の続編は時代を遡り舞台を一新することでこれを克服している。
前日譚を続編映画で斬新に描くエポックメイキングな一本だったと思う。

あまりに斬新であるが故にアンチプリクエルを産む契機になってしまったのは何とも不幸な展開である。
何を好むかはファンの数だけの多様性があって然るべきだ。
しかしオリジナルに傾倒し崇拝する思想がシークエル・トリロジーの成り立ちに影響している様に思えて残念でならない。

ところで、面白いことにアラフィフにはスターウォーズファンが少ない気がする。
多感な10代の時期にスター・ウォーズのロードショー公開が無く、奇跡体験との縁が薄かったためかもしれない。
スター・ウォーズ谷間世代ということにしておこう。

世代を越えて私たちを魅了するスター・ウォーズ…
しかし残念ながらシークエル世代と呼べる層は生まれない気がしてならない。

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③に続く(おそらく)

スター・ウォーズ 回顧録①

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1978年夏@新宿プラザ劇場
待ちに待った「スター・ウォーズ」本編のロードショー鑑賞
当時自身は中学一年生だった。

スター・ウォーズの全米公開は1977年5月 その後、大ヒットとなった本作の情報はいくつかの商品と共に日本に上陸した。すごいSF映画がアメリカで話題になっている。
当時情報源といえばTV、出版物、口コミが主体だった。

そんな中で最初に出会ったコンテンツはオリジナルサウンドトラックだった。LPレコード2枚組のそれにはジョン・ウィリアムズの楽曲が物語の時系列で収められていた。
まだ本編未見の映画だったわけだがストーリーは知っていた。

当時20歳代の若い英語教師がアメリカからやって来たSF映画の紹介をした。授業の1時間枠を使って劇中の効果音まで交えてスター・ウォーズをネタバレ全開で演じてくれたのだ。

サントラ盤を持参してくれた友人と共に場面を想像しながら何度も繰り返して聴いた。

当時の日本でSFモノといえばアニメや特撮ヒーローモノの子供向けのジャンルであり、自身も宇宙戦艦ヤマトをもって卒業したと思っていた。
しかしスター・ウォーズに関する一連の情報はそれらとは違う内容を予感させ期待はふくらんた。

当時の映画館は現代のシネコンのような形態ではなく劇場毎に一作品を上映する演劇とかコンサートに近い鑑賞スタイルだ。
指定席は前売り券の倍以上の値段で大人か家族連れの限られた特等席となっていた。
前売り券を手に上映1時間前から並び開場と共に席取りに向う。
これが少年映画ファンのロードショー公開作品鑑賞のスタンダードだ。
人気作では立ち見客の出る事もあり、今日の施設環境では考えられない。

20世紀FOXのファンファーレ、A long time ago in a galaxy far, far away… という静寂に浮かぶブルーの字幕、ジャーン!というオーケストラ演奏とシンクロして現れる STAR WARS の黄色の題字、スクリーンに吸い込まれていく題字に続くオープニングクロール
上映開始数分いや数秒で既に新鮮な驚きに満ちていた。
音楽と文字だけでしかも数分で観客を作品の世界に引き込むこんな映画は後にも先にも見たことがない。

冒頭のストーリーを文章で語り終えると画面は三角形の宇宙戦艦を下から舐める斬新な映像、そして最初の台詞はロボットのボヤきというのもコレまた斬新だ。

ここからの2時間あまりは未体験の連続となったが42年にわたり魅了され続けるとは思いもしなかった。
映像、音響が斬新で素晴らしかったのは言うまでもないが、ストーリー自体は特筆すべきはなく単純明快な冒険活劇だ。

スター・ウォーズを巡る考察は長きに渡ってあらゆる視点から語り尽くされている。
ここからはあくまで個人視点でのスター・ウォーズ考を記したい

・自身が中一の多感な少年だった
・洋画鑑賞が趣味だった
・SFは宇宙戦艦ヤマトで卒業
・それまでの特撮ものは子供向け

・未来も地球も関係ない物語
・生活感と使用感あふれる美術
・お伽話の語り口
・単純明快な展開

これらの条件はそれぞれ観点が全く異なるのだが、スター・ウォーズ体験を形成する上で不可欠だったように思える。

そしてジョージ・ルーカスのイマジネーションと思想、私的な思いが詰め込まれた魂のこもった作品であったこと もちろんこれは外せない。

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②へ続く(多分)

【STAR WARS】TOMY スター・ウォーズ ジオラマ

2004年に発売された第3弾
定価315円(税込み)
ジオラマパッケージ.jpg

ラムネ菓子のおまけを紹介

中身のおまけ
ヨーダ素体.JPG
ヨーダ!身長は約55㎜
ということは1/12スケール相当

ちょっと手を加えてみた
ヨーダディテールアップ.jpg
頭髪を植毛
三白眼気味の瞳を修正
顔の皴にスミ入れ
ライトセイバーの発光表現追加
その他ディテールアップ

こちらは劇中のシーン(ホンモノ)
ヨーダ映画.jpg

食玩アップ
ヨーダアップ.jpg

【STAR WARS 】X-WING F-toys VS BANDAI

1/144スケール 全長90㎜足らずのミニチュア
ガムのおまけとプラモデルを比較してみた

こちらはF-toysから定価399円(税別380円)で10年ほど前に発売された商品
Ftoys箱.jpg

塗装済み半完成品がガムのおまけとして入っている

箱を開けないと5種類+?のうちの何が入っているのかは判らない
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こちらはBANDAIから定価660円(税込み)で近年発売された商品
バンダイ箱.jpg
成形色である白一色のプラスチック・モデル・キットなので塗装・組み立てが必要

まずは完成品を上面から比較
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左がF-toys 右がBANDAI

同じ1/144スケールとのことだがF-toysのほうが微妙に大きい
設定では全長12.5mとのことらしいのでBANDAIの方が正確なようだ

フォルムも微妙に異なる
F-toysの方がややシュッとしている
モールドの精緻さはBANDAIに軍配

F-toys
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BANDAI
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細部の再現もBANDAIの方が劇中のプロップに忠実なようだ
発売が10数年前と近年ということで参考にできる資料の量に差があったのかもしれない
F-toysの方にはプロップ写真の資料を参考にダメージ痕や汚れ塗装などを施してみた

ミニチュアとして細部の再現のアプローチに最も差異のある部分がシールドガラスの表現

F-toysのコクピット周り
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スモークな透明パーツでキャノピーのシールドを再現している
よく見ないとわからないが内部にはコクピットも造形されている

BANDAI
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こちらはシールド部分含めキャノピーを付属のマーキングシールで仕上げるようになっている
付属のシールはやや厚みがありモールドをつぶしてしまうので使用せず、水転写デカールを使ったが雰囲気はF-toysにかなわない残念な点
その分R2-D2の頭部パターンの再現を自力で頑張ってみた

F-toysの方は部品の差し替えで飛行状態か着陸状態を選択可
LANDING前.jpg
LANDING.jpg

BANDAIの方にはエンジンノズルに発光表現を追加
BANDAI エンジン.jpg

エンジン点火
BANDAI エンジン_点火.jpg

最後にスナップショット比較

F-toys
X wing RED5.jpg

BANDAI
X wing RED5.jpg